当たり前は当たり前じゃない。日常の当たり前にいちいち感動しながら写真に収める
こんにちは。家族写真の出張撮影サチカメ!の なかじまさちこ です。
6月に夫の実家に帰省したときの写真を、やっと最近現像しました。
締め切りのあるお仕事の写真と違って、プライベートの写真は溜めてしまいがちです。
それでも時間を置いたら置いたでいい側面もあって、じわぁんとその日のことを思い出しながら、忘れていた記憶を写真で補完していました。
群馬での朝のお散歩
群馬にある夫の実家は、渋滞に巻き込まれなければ東京から車で2時間くらいで行けます。
家の周りには田んぼや麦畑も多く残っています。
物心ついたときから東京で暮らしてきた私にとって、自然が多いこの場所はとても魅力的。
とくに好きなのが朝のお散歩です。
まだ日が高く昇らないうちに、裏の畑や家の周りをのんびり歩くと、体の中の血管から細胞まで生まれ変わったようにリフレッシュできます。
この日は、長女と次男と私とで、「裏の畑に探検に行こう!」と言って、朝の散歩にでかけました。
ビニールハウスの中にはなんとパイナップルが!
今頃熟して食べごろになっているのかなぁ。
パイナップルが生えてるところなんて初めて見たので興奮気味の次男です。
畑自体が物珍しく、あちこち歩き回ります。
ところどころ土がふかふかになっていて、足がズボッとはまります。でも子供はそんなのお構いなし。
野菜がどうなるかを知らないで育った
こうやってると、たまにお義父さんがきて、「さっちゃん、これは○○の花だよ」と教えてくれたりもします。
そんなとき、私はなんて無知のまま生きてきたんだろう、と思います。
だいたいがスーパーに売ってある形でしか野菜を見たことがないこと。オクラがどんな形で生えているのか、30歳を過ぎて初めて目にしたのですから。
その点、夫はそういうことをナチュラルに知っています。
野菜がどうなるのかも知っているし、季節の野菜を知ってるし、葉っぱを見てなんの木だか分かったりもします。
私は結婚当初、そういうことにいちいち感動していました。ああ、この人は生きる力がある人だなぁ!と、すごく尊敬したのを覚えています。
食卓に朝採れ野菜が並ぶことにも感動しました。
新鮮ないい野菜、オーガニックな野菜を手に入れようと思ったら、金額が張ってしまうというのが東京での常識。
ですが、ここでは無農薬・減農薬の採れたてのお野菜が、自宅から徒歩数歩で手に入る。
あー、なんてぜいたくなんだろう。
誰かにとっての「当たり前」は、他の誰かにとっては「当たり前」じゃない。
私にとっては「ぜいたく」に思えるこの環境ですが、夫は「当たり前」のものとして育ちました。
そして、「田舎は何もないから、東京に出たい」と言って上京しています。
誰かにとっての「当たり前」は、他の誰かにとっては「当たり前」じゃない。
だから自分の思う「当たり前」に価値がないとするのはすごくすごくもったいないことだと思います。
けどむずかしいのは、その渦中にいると価値がわからないというのもまた真実で。
だからこそ人は代わり映えのない日常に不満を言ったり、外に出ようとしたりします。
日常の当たり前にいちいち感動しながら写真に収めたい
当たり前の日常もいいのだけど、それはもしかしたら他の誰かから見たら「当たり前」じゃないかもしれない。
いつどんな瞬間にも価値がある可能性があって、その価値を見つけられるように生きていきたいなぁと思います。
私にとってその手段はやはり「写真」になるわけで。
日常の当たり前を当たり前と思わずに、いちいち感動しながら写真に収めていけたら、とてつもなく幸せです。
日常写真を撮ろう
夫は、結婚して子供が生まれ、東京で子育てをしていて、改めて、自分が育った環境の素晴らしさに気が付いたようです。
こうやって十数年の時を経て感じる価値もあるのだなぁと思いました。
これを読んでくださっているあなたは、日常に満足していますか?それともちょっと不満がありますか?
今はそんなこと考える暇もないくらい、バタバタとめまぐるしい毎日を過ごしているのかもしれませんね。
そんな忙しくて素通りしてしまいがちな方にこそ、写真に撮っておいてほしいなと思います。
写真は「ありのまま」を写すだけではなく、撮り手の「感動」を必ず写してしまうものです。
私はいろんな人の日常に踏み込ませてもらいながら、私なりの感動ポイントで写真を撮っています。
その感動ポイントが、あなたの当たり前を崩す視点であればうれしいなと思います。