「ママ」であることに苦しんできた日々
こんにちは。家族写真の出張撮影サチカメ!フォトグラファーのなかじまさちこです。
「一年前の今頃はどうしてたかな?」と、ときおり写真を見返します。
仕事で撮影したものを振り返っていたときに、この写真が目につきました。
育休中の日常を撮影させていただいたもの。
すこし時間がかかってやっと眠りについた、お昼寝の場面です。
おりしも私自身も4歳の次男を寝かしつけてきたところだったので、惹かれるところがあったのかもしれません。
直前までキャッキャと会話していたのに、私が背中をトントンとすると、スーッと寝息を立てる。
こんなことが起こるたびに、「私の手からなにか特殊な光線が出ているのかも?」なんて不思議な気持ちになります。
無力感に苛まれていました
「やっぱりママがいいのね」
「子どもはママが好きだよね」
「ママが…」
って、何かと“ママ””ママ”言われることがずっと嫌でした。
年輩の人から言われると古い時代のステレオタイプを押し付けられてるように感じ、夫に言われると育児を押し付けられてるように感じ、苛立つこともありました。
自分はそんな特別な人間じゃない!
自分にはそんな力も母性もない!
と、無力感に苦しんでいました。
子育てスイッチ、ON!
でも、あるとき思ったんです。
大切な子どもたちを前に「自分には何もない」と思うことになんの得があるんだろう。
「ある」と信じて心の中で「子育てスイッチON!」と唱えて子どもたちに全身全霊で向き合うように心がけてきました。
それから10年が経ち、私は3児の母となり、前よりずっと気楽に育児ができています。
「ママ好き!」「ママ大好き!」と毎日子どもたちに抱きつかれている幸せすぎる日々です。
撮影で思い出すほろ苦い気持ち
撮影で1歳前後の男の子に会うと、今でもほろ苦い気持ちを思い出します。
お客様は私とは違ってもっとスマートに子育てできてるかもしれないけど、もしかしたら人には見せずに苦しんでるかもしれないと考えたりもします。
私が発する何気ない言葉で傷つけることがないように気を遣います。
10年を振り返って
いま、私の子供たちは11歳、8歳、4歳になりました。
子育て真っ只中ではあるけれども、ある種、物理的な手のかかる大変な時期は脱したように思います。(オムツとおっぱいがないのは大きい)
もちろんこの先はまた別の種類の育児の悩みが出てくることは承知の上ですが、身も心も振り乱して、不可解と理不尽に24時間立ち向かう時期は過ぎました。
私は、周りからは落ち着いて見えたり、優しく愛情深いお母さんな雰囲気で見られることが多いです。
けど、自由が効かないことにストレスたまりっぱなしだったし、おっぱいをやりながら他のことを考えてばっかりだったし、子供のことより自分のキャリアを優先して家族にしんどい思いをさせたこともありました。
「おかあさん」ってものは、何があっても子供が一番なんじゃないの?子供より自分のことが大事だなんて、子育てに向いていないのでは?
と、心のうちでは、たくさんたくさん自分を怒っていました。
苦しい思いもし、でも子供たちとの日々は笑いに満ちていて、まっすぐな子供たちからはいつも忘れかけていた大事なことを思い出させてもらっています。
日々の小さな発見や驚きを写真とともにブログに綴っては、「大丈夫。ちゃんと歩けてる」と自分を励まし、立て直してきたように思います。
出会うべくして出会っている
撮影を通して出会う親子たち。見た目には何不自由なく暮らしているように見えるけれど、そうじゃない一面も持ち合わせているかもしれない。
あえて聞き出すようなことはしないけれど、そこに思いを馳せながら向き合おうとする一人の大人の存在は、「安心感」という形で滲み出ているような気がしています。
「出張撮影」というものを通じてではあるけれど、人は出会うべくして出会っている。
月並みな言葉ではあるけれど、一回一回の出会いを大切に、これからもシャッターを切っていきたいと思います。