鹿の解体に立ち会いました。「殺めたからには、ちゃんと食べる」

先日、「鹿の解体」に立ち合わせていただく機会がありました。

もちろん生まれて初めての経験です。

数日経ちますが、今でもあの異様に高揚した気分を思い出します。あれはなんだったんだろうかと言語化に努めようとしますが、ビシッと決まる言葉が見つからず。

ただ、うまくまとめることよりも、ひとまずあの日経験したことを記しておくのがいい気がして、今日は書いています。

とりとめのない内容になるかもしれませんが、よろしくお付き合いください。

地元でわな猟をしている方からのお誘いで

前提事項を話すと膨大になってしまうので簡単に言うと、夫がかねてから「狩猟」に興味を持っていた関係で、地元でわな猟をしている方からお声かけいただきました。

この辺りは山が多く、鹿、イノシシ、猿なども住んでいて、ときおりに人里に下りてきては畑を荒らします。それらの動物は「害獣」として扱われており、仕留めて定められた方式に則って申請すると報奨金が出ます。

この日も仕掛けていたわなに2頭の鹿がかかったとのことで、「夕方から解体をするけど、来てみますか?」と誘っていただきました。

夫と長男と次男と私が参加することに。長女は興味がないのか、それとも怖いと感じたのか、お留守番を選びました。

軽トラに乗って、作業場へ

ガタガタ山道を登ったところに作業場があるとのこと。道が狭く荒れているので乗用車で登っていくのは厳しいとのことで、途中から軽トラに乗せてもらいました。

作業場に着くと、すでに作業は始まっていました。

ここからは、苦手な方もいると思いますので詳しい描写は控えます。

興奮が隠せない様子

夫は、先輩たちに教わりながら黙々と手を動かしていました。長男と次男と私は、少し離れたところからその様子を見ていました。長男と私は、ちょっとだけナイフを持ちました。

子供たちは、それぞれのやり方で興奮を露わにしていたのが印象的でした。長男は口数少なに、ときどき大きく息をついて。一方の次男は大声でしゃべりまくりながら。

興奮していたのは私も同じで、「この道具は何ですか?」「この尻尾はどうするんですか?」などなど、今考えるといつもより社交的に質問を投げかけていたように思います。

一番ヘビーなのは縛り上げるとき

解体の様子を見て、「うっ」となるかと思いきや意外と平気でした。匂いもないし、血抜きされているので血が噴き出ることもありません。ともすると、肉の塊のように見える瞬間もありました。

それは、ある程度「処理」された状態から参加したからかもしれません。

本当にキツいのは、わなにかかった鹿を羽交い締めにして縛り上げるときだと先輩猟師さんが言っていました。鳴くんだそうです。それから生きたまま血抜きをして、内臓を取り出します。

ここまでの過程が一番ヘビーだというのは、本当にそうだろうと思いました。

「殺めたからには、ちゃんと食べる」

解体した肉は、参加者で分け合って持ち帰ります。

モットーは、「殺めたからには、ちゃんと食べる」だそうです。ああ、シンプルだけど、大事なことです。

ビニール袋に入れられた肉は、まだほんの少し温かく、「命をいただいたんだ」ということを無言で教えてくれました。

子供にも体験として刻まれた

その日の晩に、さっそく調理していただきました。

背ロースは、野菜と一緒に炒め物に。心臓は塩炒めに。包丁で切りながら、「鹿」から「鹿肉」に意識が変わるのっていつだろう?などと考えました。

鹿肉は、鉄分が多く、見た目も赤黒いです。鉄分のせいで独特の風味があり、それを嫌う人もいるそうですが、基本的にはそれほど臭みのない食べやすいお肉です。

長男は「おいしい!」と言って、おかわりまでしていました。

次男はというと、ゆっくりペースではありましたが、箸を進めていました。

でも、「どう?おいしい?」と聞くと微妙な表情でこう言いました。

「じつは、ちょっとすきなあじじゃないんだ。でもぜんぶたべるよ」

苦手なものがあったとき、普段なら半分だけ食べて残すことが多い次男。にもかかわらず宣言通りにぜんぶ平らげたのを見たとき、これはすごいことだと思いました。

周りの人は何も言っていないのに、「殺めたからには、ちゃんと食べる」が、体験としてしっかり刻まれているんだなと。

「命をいただく」ということを、5歳なりに何か感じ取っていたのでしょうか。

命の始まりに触れられる

今回の鹿の解体という体験は、「命の始まり」を考えさせてくれる時間だったように思います。

普段何気なく口にしている肉、スーパーで売られている肉にも必ずその前の姿があり、そこには命が、温度があります。

知っているけど、本当にちゃんとは知らなかったんだと思います。そして今でも全部知っているわけではないです。

丹原は農業もさかんですが、農業もまた「命の始まり」を見せてくれます。

種から芽が出て、花が咲き、実がなる。その一連のプロセスを目の当たりにした上で口にする野菜と、スーパーでパッケージされた野菜しか知らずに口にする野菜とでは、やはりそこに宿る重みが違ってきます。

去年、ほんの少し自分たちで野菜を育ててみた経験からそう感じています。

漠然と「自然の多いところで暮らしたい」と思っていましたが、その思いを深くみていくと、いつでも「命の始まり」に触れられる環境で「生命力を感じながら暮らしていきたい」ということなのかもしれません。

今回は貴重な体験をさせていただきありがとうございました。

中島佐知子(サチカメ)

田舎暮らしに憧れ、東京から愛媛(西条市丹原町)へ家族5人で移住。念願の自然に囲まれた暮らしを楽しみながら、フリーランスとして出張写真撮影、古民家宿運営サポー...

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