「やりきった」という感覚は、手放しのサイン
2022年の年度末は、わたしにとって変化の大きい年度末でした。
わたしは、「家族写真の出張撮影サチカメ!」の他にも、業務委託の形でいくつか並行してお仕事させていただいています。
そのひとつを手放すことにしたのが一番の大きな変化でした。
週3〜4日コミットしていたその仕事はとても充実していて、写真やWebに関わる内容だったので、わたし自身の興味とも合致していました。
また、一緒に働くメンバーも思いやりや気遣いがあって恵まれていたし、家族や子供の事情に合わせてある程度勤務時間を調整できたし、十分な報酬もいただいていました。
続ける理由を挙げればいくつでも挙げられるのだけど、今回手放すことにしたのは「ここで、わたしのやることは、もうない」「やりきった」という感覚でした。
わたしのキャパは超えていた
実際のところ、わたしのキャパは超えていました。
並行しているお仕事をすべてやろうとすると、なんだかんだ土日もPCに向かう日が多くなっていました。
せっかく愛媛に来たのに結局部屋の中で一日中PCに向かってる。これじゃ会社員時代と同じじゃないか!!と気づくと愕然としました。
新しいお仕事の話をいただいても、(会社員ほどキツくないとはいえ)週3〜4日の拘束時間があるので、どれだけ貢献できるかわからず二の足を踏んでしまっていたし、大事にしたいはずの「家族写真の出張撮影サチカメ!」に十分に時間が取れていないこともずっとずっと心に引っ掛かっていました。
「やりきった」という感覚は、手放しのサイン
いつも忙しい、けど、やりたいことが全然できていない。一方で、週3〜4日コミットしていた仕事は、わたしの中でひととおり「やりきった」という感覚がありました。
これは、手放すときかも。
1月の末ごろにフッとそういう感覚になり、手放すことを決めました。
怖さを抱えながら進む
それでも、週3〜4日の拘束時間がなくなれば同時に「安定した十分な報酬」もなくなるわけで。それが一番怖かったです。家族の生活を支えてきた収入だったので。
でも、この怖さはどうやったってなくならないと思ったとき、怖さを抱えながら歩き出そう!と吹っ切ることができました。
そしてどこか、空いたスペースになにか入ってくるさ!という楽観的な気持ちもあります。
新年度を迎えて
ありがたいことに3月31日の最終勤務日まで、忙しくも楽しく働かせてもらいました。
そして新年度を迎え、ありがたいことに、また慌ただしい日々を過ごさせていただいています。
どうせ生きるなら、魂がよろこぶ生き方をしたい。季節を感じる暮らし、家族や身近な人と笑い合える暮らし。
今、わたしがこの土地にきたのも、そういった選択の結果でした。
だから、この土地にきたことを100点、いや120点、それ以上の「正解」にしていくためにも、もっともっと自分の感覚がよろこぶ選択を重ねていきたいです。