会社を離れても稼ぐ力をつけることが夫婦の課題

こんにちは。フォトグラファーの中島佐知子です。

移住シリーズ、「次に続きます」と書いてからずいぶん時間が経ってしまいました。

こちらの記事はたくさんの人に読んでいただいたようで、応援のメッセージもいただきました。ありがとうございます。

早く続きを書きたい気持ちはあれど、引越しを目前に控え、結構忙しくなってまいりました。

あまり「忙しい」と口にするのは好きじゃないのですが、大切な連絡を忘れてしまったり、せっかくのお誘いをお断りしないといけないくらいには忙しくなっています。

ただ、その中でも書いて記録に残すことはやっていきたいし、今後移住してからはリアルタイムで書いていきたいと思うので、その訓練もかねて、時間を捻出して書いていこうと思います。

。。。と、前置きが長くなりました。

前回、子供たちの相次ぐ体調不良で大きな病院にお世話になる事態が重なったことをキッカケに、理想の働き方や家族のあり方を夫婦で問い直したところ、「田舎暮らし」というキーワードが再浮上した、というお話しをしました。

次に、田舎暮らしをするためには、会社に属さないでも生きていける力をつけることが私たち夫婦の課題となりました。

会社を離れても稼ぐ力をつける

会社を離れると何もできない

私たちは、銀行のシステム部門に配属され、開発の仕事をしていました。

システム開発と一口に言っても、それぞれの現場で使われているプログラミング言語が違ったり、開発するにあたっては業務知識も必要なので、意外と潰しが効かない世界です。

今でこそ、システム開発の一連のプロセスの中で、論理的に考えたり、わかりやすく整理して説明したりという普遍的なスキルを身につけられたと思っていますが、当時は「ここを出たら他所では通用しない」という意識を強く持っていました。

会社は一部上場しているような企業でしたので、福利厚生も整っていたし、一緒に働く人はいい人が多かったので、ずっといてもいい環境でした。

ただ、大きな会社だって潰れる時代、もしものときに、自分に稼ぐ力がないことは怖いことだと感じていました。

「田舎暮らし」を具体的に考え始めたときに、一番ネックになったのもこの部分。

夫婦ともに、会社を離れると何もできないのを、なんとかしなければと思っていました。

考える時間を作るために退職

ところが、夫は常に超多忙な日々。

毎日、日付が変わった頃に帰ってきて、お風呂に入り、流しに残っている洗い物を片付け(この頃、寝落ちしてしまうことが多かった…)、朝のご飯を仕掛けて寝る。

朝は目覚ましが何度も鳴って、這うように起きてきて、朝の支度と保育園の送迎を手分けして。

いつも睡眠不足な状態で、仕事中に急激な眠気に襲われることが何度もあり、睡眠障害を疑って睡眠外来を受診したほど。(結果、ただの寝不足!笑)

とにかくこんな毎日なので、一日を生ききることに精一杯で、これから先のことを考える余裕がありませんでした

でも、この負のループをどこかで断ち切らなければならない。

そのために、まずは会社を辞めることにしました。

地方で就活するも失敗

夫は、退職することを決め、会社にもそれを伝え(とにかく決断と行動が早い!!)、同時に地方での就職活動を始めました。

けれど、結局すべて失敗

なんと!!プー太郎状態で、退職の日を迎えます。

柔道整復師の専門学校

結局、夫の無職期間は1ヶ月ほどありました。

その間、充分に睡眠が取れる生活に戻しながら、いろいろな道の可能性を探っていました。

いろいろと探る中で、たまたま私が「柔道整復師っていう資格があるよ。手に職つけるのもアリかもね」と提案したのにビビビッときたらしく、すぐさま学校を調べ、願書を取り寄せ、入学を決めてしまいました。(本当にとにかく決断と行動が早い!!!)

写真を仕事にするための準備

一方、私の方は、田舎暮らしとは別の軸で、写真を仕事にしたいなぁとぼやんと思い描いていた時期でした。

ただ、夫が退職し、これから学校に通おうとしている今、私まで退職してしまうのはさすがに家計が危うくなってしまいます。

なので、夫が学校に通っている3年間を準備期間に充てることにしました。

2017年から新たなスタート

果たして夫は無事に国家試験に合格し、晴れて柔道整復師として、整骨院への就職も決まりました。

その時点で、3年間という期限を一応設定して、2020年に移住することを目標に、スキルを習得していくことにしました。

私は、その半年後、会社を退職し写真の仕事を開始しました。

2020年の今

2020年の今、移住を目の前にしていて、夫婦ともに「どこに行っても、何かしら稼いでいける」という自信があるのは、とてもアドバンテージだと感じています。

夫は就職しようと思えば整骨院なら日本中にあるし、開業する選択肢もあります。

私の写真も、今のような家族写真の案件は減ってしまうかもしれないけれど、この3年間で培ってきた技術でお役に立てる場はきっとあるだろうと思っています。

ただ、私たちのやり方が絶対の正解だったとはまったく思いません。

むしろ時間がかかりすぎですし、移住先の事情を詳しく聞けば聞くほど、「仕事はいくらでもある」と感じます。

6年前のあのときに、思い切って手ぶらで移住していたとしても、なんとかなっていたかもしれません。

こういう、正解のない問題に立ち向かうとき、決断の一つ一つが本当に怖いです。

でもいつだってどう転んだって幸せになると信じて、選択していくしかないんですよね。

この決断を心からよかったと思える日が来ますように。

中島佐知子(サチカメ)

田舎暮らしに憧れ、東京から愛媛(西条市丹原町)へ家族5人で移住。念願の自然に囲まれた暮らしを楽しみながら、フリーランスとして出張写真撮影、古民家宿運営サポー...

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