「ありがとう」の効用。
「今日は遠くまで(応援に来てくれて)、ありがとう」
日曜日の夕方。子どもたち3人を連れて、電車とバスで長い距離を移動して、やっと家に着いた。
ホッと一息ついたとき、先に帰宅していた夫にこう言われた。
唯一座れたバスではスコーンと熟睡してしまうくらいには疲れていた身体も、不思議と軽くなるようだった。
決して無理して頑張ったわけではなくて、自分がそうしたかったからしたことだったけど、「ありがとう」という言葉で、やっぱりちょっとだけ頑張って行ってよかったなと思った。
丸ごとすべてが認められたようでうれしかった。労われて、報われた。
「トライアスロンに出ることにしたから」
日曜日は夫のトライアスロンの大会だった。
この日に大会に申し込んだと半年前くらいに言われたときには、「写真業界の繁忙期の日曜に予定を入れてくるとは…」と、わたしの仕事を大事にされていないような気がしてムッとした。
でも、よく考えたらわたし自身も仕事以外の勉強の時間を取らせてもらっているので、お互い様という気持ちでバランスを取った。
夫は仕事で忙しくしながらも、ちょっとした時間を見つけては走りに行ったりプールに行ったりしてトレーニングしているようだった。
ジャージを持っていないので、走りに行くときはわたしの高校時代の「女バスジャージ」を履いていった。
夫がそれを履いているというのが、わたしの中ではツボだった。
できるときに、できることを。の精神で、コツコツと練習を積んでいるようすを傍目で見ていて、応援の気持ちが日々募っていった。
大会当日
大会前日は、一緒に出場する先輩の家に泊まるため大きな荷物を持って仕事に出ていった。
そういうわけで大会当日の朝は顔を合わせることなく、夫は先輩の家から会場へ、わたしたちは自宅から会場へ向かった。
川崎市にある大会会場までは、自宅からだと電車を2回乗り換えして、さらにバスで25分くらいという小旅行だ。
一人で3人の子どもを連れてでかけることでの気力・体力の消耗は想像に難くない。
1人か2人置いていきたい…と思ったのは正直な話。
それでもやっぱり家族全員で応援に行きたいと思ったので、そこはちょっぴり気合いを入れた。
到着した頃には、スイムは終わり、バイクに入っていた。(スイム1.5km、バイク40km、ラン10km)
レースのことはよくわからないけれど、苦しそうだけど楽しそうにしている夫が、なんだか今すごく充実しているんだろうということは感じられた。
溺れず、転ばず、怪我もなく、無事にゴールまでたどり着いた。3時間と少々という長丁場のレース。
「ありがとう」の効用
レースをした上に、家まで自転車で帰ってきた夫が、間違いなくその日一番疲れていたにもかかわらず、それでも最初に出て来た言葉が「ありがとう」だったことは、実はすばらしいことなんじゃないかと思う。
思えば夫の「ありがとう」にはいつも力をもらっている。
子どもが熱を出し、わたしが病院に連れて行ったり一日看病をした日は、必ず「ありがとう」だし、会社を辞めて三年間、夜間の専門学校に通って最後の国家試験を受ける当日の朝も「ありがとう」と言ってでかけていった。
「ありがとう」には本当にすごい力があって、それまでの疲れがすべて吹き飛んでしまう。
「ありがとう」と言われるために頑張っているわけではないけれど、その一言で報われたなぁって思ってしまう。
そういうのの積み重ねで、今も一緒にいるんだろうな。
二週間後には、今度は30kmを走ることになっている。また応援できることがうれしい。