朝が弱い娘のおかげで知れた「一人一人に合わせたゴールを設定することの大切さ」と「信じて待つ」姿勢
こんにちは。家族写真の出張撮影サチカメ!の なかじまさちこ です。
私には小学5年生の男の子、2年生の女の子、そして年少さんの男の子がいます。
今日は真ん中の娘の話。
朝が弱い娘
兄弟3人の中でもひときわ朝が弱い娘。なかなか布団から出られず、出てからもぼーっとして食事や着替えが進まないことがしょっちゅう。
そうこうしているうちに登校時間になり、宿題が終わっていなかったりした日にはもう、手がつけられないくらいに泣き喚いて、「学校なんて行きたくないーーー!!!」となってしまいます。
これが1年生の頃から頻繁に。
幸い、今は自由がきく仕事だし、勤め先の方もとても理解があるので、始業時間を遅らせていつも私が教室まで送り届けています。
泣き喚いて床に突っ伏してしまったとしても、「気分転換にコレでも食べる?」とチョコやグミなどを口に放り込むとケロッと機嫌を直したりもします。
「遅刻するからもう行きな!」と言うと絶対行かないし、いったん玄関を出ても戻ってきてしまうけど、「ママがいっしょに行こうか?」というと涙が引っ込んだりもします。
たぶん一人で行くのが心細いのと、なにかキッカケがほしいだけで、不登校になるような「学校行きたくない」ではなさそうなところが救いです。
そんなこんなで、先週も今週も何度かいっしょに登校しています。
先生は遅刻したことを絶対に怒らない
1年生の頃、遅刻して教室に送り届ける際に私は、「遅刻の理由と明日から遅刻しないための対策をどう説明しようか」と一生懸命考えていました。
「早く寝かせます」「宿題は前日のうちにやらせます」…うーん
けれど、教室に送っていくと先生は満面の笑みで、「よかったー!きたー!よくきたねーー!!」と大歓迎してくれるのです。
遅刻の理由を軽く尋ねられることはありましたが、追求する感じではなく、正直拍子抜けでした。
娘が「朝、宿題やってたら遅れちゃった」と言うと、「宿題なんていいんだよー、あなたが学校にきてくれることの方が大事!今度から宿題のことは気にしないで、まずは学校に来てね!」という感じなのです。
「遅刻して行っても怒られない」とわかった娘は、安心したのか、段々と遅刻しないで登校できるようになっていきました。
すごくいい担任に恵まれたなぁとありがたく感じていました。
2年生になってもその対応は変わらず
2年生になり、クラス替えはなく、担任の先生だけが変わりました。
いろいろ疲れも溜まるのか、また、朝起きられないことが増えてきました。
新しい担任の先生は、遅刻に対してどういう対応を取るんだろう…と少し心配しながら教室まで送り届けたのですが、同じくよい意味で拍子抜け。「よくきたね!待ってたよ!」という対応で安心しました。
クラスの子たちも遅刻に対してヤイヤイ言うことなく、「おはよう!」と声をかけてくれます。
その様子を見て、私はホッとして仕事に向かうことができています。
一人一人を見る
つい昨日のこと、いつもは教室まで送り届けるところ、娘が「ここまででいいよ」と言うので、昇降口で別れました。
そのあとのことが気になって、夜、様子を聞いてみました。
「先生に『お母さんは?』って聞かれて、玄関でバイバイしたって言ったら、『お母さんに教室まで来てもらわなくても来れるようになったんだね!』と褒められたよ」
そして今日は一人で学校に行けたのですが、ほんの少しだけ遅れてしまったそう。でも、
「一人で来れたけどちょっと遅くなっちゃった…って先生に言ったら、『本当はもう少し早く来れたらいいけど、あなたの場合はちょっぴり遅くてもOKだよ』って言ってくれたんだ」
一連の話を聞いていて、先生はちゃんと一人一人の子どものことを見てくださってるんだとうれしくなりました。
「○時○分までに着席していないと遅刻だ」と規範に則って叱りつけてルールを守らせるという方法もあると思います。「廊下に立ってなさい!!」というドラえもんの世界ですね。
でも、一人一人を見てくれているからこそ、その子の中の成長にも気づけるし、一人一人に合わせたゴールを設定して見守ることができる。
それは簡単なことではないけれど、子どもの心の成長のためにはとっても大切なことだと思います。
信じて、待つ
ときどき考えるんです。
もしも、「なんで遅刻したんだ!?」と怒鳴りつけられていたら?
もしも、「来たけど、遅刻したことには変わりない」とあしらわれていたら?
もしも、「どうして他のお友達ができていることを、あなたはできないの?」と言われていたら?
娘はどんどん自信を失って、学校へ行く気力をなくしていたかもしれません。
子育てをしていてよーくよーくわかるのですが、怒りを振りかざして言うことを聞かせようとする方がよっぽど楽です。
「いつかできる」「本来できるはず」と、その子の力を信じて、待つ、ということの方がどれほど根気のいることか。
しかし、それをちゃんとやってくださっている担任の先生や学校というものの存在が、とてもありがたいですし、私もそういう親であり大人でありたいと思うのです。