たった15分の朝時間で心が充足。一緒にいない時間も、お互いにいい時間を過ごせる関係性。
季節が逆戻りしたかのような、日差しがまぶしい日曜の朝。
わたしは子どもたちと近所の公園の球技場にいた。
手にはテニスラケット。
長男と、適度な距離をとって向かい合い、ボールを打ち合う。
ラケットを握るのは、高校の体育の授業以来。
片手で打つの?両手だっけ?そんなレベルから。
それでも何度か打ち合ううちに、次第と体が思い出し、思ったところへ球を返せる確率が増えてくる。
ときどき腕時計を確かめる。
あと5分。あと2分。。。
ああ、もう時間だ。
「じゃあ、ママ行くね」
「いってらっしゃい!がんばってね」
まだしばらく遊ぶという長男を残して、わたしはバス停へ向かう。
タオルで額の汗をぬぐいながら早足で。日陰に入ると涼しい風に秋を感じる。
ママと遊びたい
この土日、わたしは自分の勉強のため、丸一日家を空けることになっていた。
夫とは以前からすり合わせていたけど、子どもにはとくに言っていなかったので(言うとうるさいことはわかっていたので)、毎朝「今日もいないの?」「今日もでかけるの?」と聞かれた。
とくに寂しそうにしていたのは長男。
「ママと遊べる時間がぜんぜんないじゃん。。。ママと遊びたい」
と、どストレートに気持ちをぶつけてくる。
自分の学びの時間も、それはそれは楽しみにしていたんだけど、子どもにこんな風に言われると心が揺らいでしまう。
子どもを犠牲にして、自分の好きなことをやるなんて。夫に丸投げして、二日も家を空けるなんて。
母親としてどうなの?結局、自分のことしか考えてないじゃない。
でも、やっぱり自分の学びも大事にしたい。どうすれば、子どもの心も満たしながら、わたしの時間も大事にできるんだろう。
前からテニスをしたいと言われていたけど、のらりくらりとかわしていたっけ。
そうだ。朝の出かける前の15分くらいなら、時間を作れるぞ。
「朝ごはん食べたら、公園行ってテニスしよっか?」
と、長男を誘ってみた。
時間は量より質。一緒にいない時間も、お互いにいい時間を過ごせる関係性
約束通り、たった15分だけだったけど、思いっきり走って汗をかいた。
下手くそなぼてぼてラリーだったけど楽しかった。
こんなに濃く、充実した時間が他にあるだろうかと思った。
長男の顔つきを見ていてもそれは明らかで、きっとわたしがいなくても、このあとの今日一日をいい気分で過ごせるだろうと確信できるものだった。
時間は量より質。
たった15分でも、集中して心からその時間を楽しめば、充足感は得られる。あなたのことを大切に思っているんだよ、という気持ちもきっと伝わる。
逆に一日中一緒にいたとしても、心ここに在らず、イライラしてその時間を楽しめないようであれば、心はスカスカしてくる。子どもにも伝播する。
「母親は子どもと一緒にいるべき」という思考の枠にあてはめて、自分の好奇心や学習欲を押し殺してしまっていたら、スカスカな一日になっていただろう。
自分のやりたいことを諦めなくてよかった。
子どものことを大切にしながらも、自分自身も大切にできる。一緒にいる時間の長さが重要なのではないという、ひとつの型を体験できた。
一緒にいない時間も、お互いにいい時間を過ごせる関係性。
依存しすぎず、かと言って冷めているのとも違い、愛を大いに送り、受け取りあう。お互いの成長を喜び合える。
もっとも身近な家族とは、そんな関係でありたい。