近所のおばちゃんができること。PTA活動を通じて知ったたくさんの善意。
一年間PTA役員として担当してきた土曜日学校の最後の委員会がありました。土曜日学校では茶道、フラワー、スポーツ系(サッカー、卓球、キャッチボール)があり、地域の方が講師をつとめてくださっています。
先日そのまとめの会として、活動報告のあとに講師の先生方を囲んでの懇親会が開かれ、お一人お一人から一年間やこれまでの活動を振り返ってのコメントをいただきました。
中でも、私が主担当をしていたフラワーアレンジメント教室の先生のお話がグッときたのでおすそ分け^^
教育者でもない、ただの近所のおばちゃんが学校に入り込むことの意味をいつも考えてきました。それで、いつも3つのことを大切にしてきました。
・始めと終わりのあいさつ
・生花を使うこと(枯れるところまでをしっかり見届けてほしい)
・失敗はないということ(お手本通りにできなくても失敗ではない、そこからいかようにも発展できると伝えるようにしている)
とても大らかで、熱心で、優しい先生。一年間活動をサポートしてきて内なる思いを初めて聞きました。子どもたちの発想を大事にしてくれるところに自由奔放なウチの子たちもガツンとはまって、この一年楽しく通わせてもらいました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
土曜日学校の講師なんて、区から謝礼は出ているけれどもほんの交通費程度のものと聞いています。そんな中でも、どの先生もそれぞれに教えることのやりがいを見つけ、教えることを喜び、楽しんでいらっしゃることがビシビシと伝わってきました。
完全ボランティアのPTA活動に、どうしてこんなに時間も手間も取られてしまってるんだろう?と嫌な気持ちになることがあるような私とは、価値の感じ方や見ているものがきっと違うんだろうなと、すこし恥ずかしい気持ちになるくらいでした。
と、同時に、こんなにあたたかい”近所のおばちゃん”に囲まれている子どもたちは(うちの子も含め)とても幸せな子たちだなぁというふうにも感じました。
一年間のPTA活動で、今まで知らなかった、子どもたちを取り巻くたくさんの人の存在を知ることができました。そしてそれがほとんどの場合、善意で成り立っていることも。暇だからやっている人なんて一人もいなくて、仕事や介護を抱えながらも時間を捻出して子どもたちのための活動に関わってくれている人がたくさんいました。
PTA活動に関わる以前はその辺りのことをよく知らなかったので、「いろいろやってくれてるな〜」くらいにしかとらえていませんでした。今なら本当にそのことに感謝の気持ちを向けられます。
PTA活動のようなものは、自分の中でも腹落ちしてなにか他の意義を見出せないことには、ただの義務感だけのカタマリのしんどいものになってしまいます。でも、それは決して強要はできないし、だれも責めることもできない。そこが、PTA活動の難しいところだなという風に感じています。
今週末の最後の大きいイベントが終われば一応一区切り。あと少し、がんばるぞー。