うるっとならなかった運動会。積み重ねたものを断ち切ることでの寂しさにどっぷり浸かる

昨日は小学校の運動会について書きました。

これを書きながら、書いたあとも、なんだかよくわからないけど心に少しの引っかかるものを感じていました。この違和感なんだろうなって考えていたら、突然ふと思い当たることがあって。

ネガティブな内容になってしまうかもしれないけど、記しておこうと思います。

成長を感じてうるっとすることがなかった

短縮運営となった運動会だったけど、子どもたちは本当によくがんばっていました。一つも手を抜かず全力を出し切って、午前中だけにもかかわらずヘトヘトになって帰ってきました。

他の子たちも高学年の子は係の仕事に奔走していて立派だったし、低学年のぶかぶかのズボンはかわいかったです。

だけど何か物足りない。毎年感じていた何かが今年はない。そのことに、あとになって気がつきました。

それは、他所の子の成長を感じてうるっとなることでした。

校舎の時計

例年、長男や長女の同級生の子を見ては、「あんな赤ちゃんだった子が…!(うるっ)」「保育園のときは頑なに走ろうとしなかった子が…!(うるっ)」「あの子もあの子もあの子も、入学当初は小さかったのにずいぶん大きくなったなぁ…!!(うるうるっ)」と、気を抜くと涙腺崩壊していました。

片手にiPhoneで動画を録り、もう片方の手では次男の手を握ったり抱っこしたりしつつ、鼻の奥がツンとなるのを何度もこらえていました。

それが今年はまったくなかったんです。他所の子は顔を初めて見る子がほとんどだったので、思い出も思い入れもないから当然と言えば当然なのですが、そのことに少し寂しさを感じてしまいました。

私の隣でうるうるしているママ友もいない

と同時にそれは、私の隣でうちの子の成長を感じてうるうるしているママ友もいないということを指します。

今の小学校の皆さんはうちの子たちの過去を知らないわけです。成長は過去と比較したときに感じられるものですから仕方のないこと。もちろんそれを強要するつもりはありません。

ただ少し、寂しいなと思ってしまいました。引越しで失うもので、地味に効いてくるのがこういうところなのかもしれません。

寂しさにどっぷり浸かろう

子育て期のすべてを過ごしてきた杉並には思い出もたくさんあるし、積み重ねてきた人間関係もあります。

引越しによりそれらと離れざるを得ないことはわかっていたし、覚悟もしていたし、後悔しないように新しい土地でも杉並時代に負けないくらい素敵な関係を築いていこうという前向きな気持ちです。それはずっと変わっていません。

ただそれとは別に、やっぱり寂しいなぁという気持ちもあるということを、今回唐突に突きつけられることとなりました。

今は、ギャップが大きいから余計に強く感じるのかもしれません。西条での人間関係が少しずつ積み重なって深くなっていくにつれ、杉並時代とのギャップも徐々に埋まっていくのかな、埋まっていくといいなと思います。

コスモスと校庭

このブログを読んでくれている人にはリアルな友達も多いので、心配させたくない気持ちもあって、今日のトピックを書くかどうかは迷いました。

だけど、なにごとも正直に、裏も表もなく、リアルタイムで感じていることや直面していることを書いていこう、そこからの成長や葛藤も見てもらおうと思っているので、書くことにしました。

もしかして心配させてしまったらごめんなさい。私は元気です!ちょっと寝違えた首が痛いくらいです(笑)

それにしても、積み重ねてきた地域の人との関係性を断ち切ること、それによる寂しさがこんな形で現れてくるとは。

今は少し、その寂しさにどっぷり浸ってみようと思います。

中島佐知子(サチカメ)

田舎暮らしに憧れ、東京から愛媛(西条市丹原町)へ家族5人で移住。念願の自然に囲まれた暮らしを楽しみながら、フリーランスとして出張写真撮影、古民家宿運営サポー...

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