子供の誕生日にはその子が生まれた時のエピソードを話すのが恒例です。

メリーゴーラウンドに乗る娘

昨日は長女の誕生日でした。私は、子供の誕生日の際に欠かさずしていることが一つあります。

それは、その子が生まれた時のエピソードを話すこと。

「●年前の今日が予定日だったんだよ」
「●年前の今頃はこんなことをしていたよ、こんな気持ちだったよ」

など、誕生日当日だけでなく1,2週間前からそれは始まります。

そして生まれた日のお産の流れや、周りにどんな人がいて、誰がどんな発言をしたか、など。夜寝る前に布団の中で話す時もあれば、お風呂やご飯の時間に話すこともあります。

いつ、なぜ始めたのか

いつから始めたのか、なぜ始めたのかは、はっきりとは覚えていません

誕生日の時期が近づくと生まれた当時のことが自然と思い出されてきてしまうので、誰かに聞いてもらいたくてしかたなかったという単純な気持ちからだったかもしれません。

話を聞いたときに子供たちがどんな反応をするかが興味深かったというのもあるでしょう。

とにかく、あまりたいした意図もなくやり始めたことですが、私にとっても家族にとってもいい慣わしになりつつあります。

9年前の心境

長女は9年前の昨日、予定日の8日遅れで産声を上げました。

長男を産んだのは病院でしたが、陣痛促進剤を使った挙句、最後はお腹を押されて赤ちゃんは鉗子で引っ張られての出産だったので、自分の力で産めなかったという心残りができてしまいました。

それで長女のときは助産院に変え、産むための身体作りから取り組むことにしたのです。

とは言え、サラリーマンをしていたし、上の子もいたしでぜんぜんまともに取り組めなくて、本気でヤバイと思い始めたのは産休に入ってからでした。

いざ向き合ってみると、身体だけではなくメンタル面でも取り組まなければならない課題が出てきたりして、助産師さんの前で号泣したこともありました。

当時まだ一人っ子だった長男のことが気がかりでならなかったんですよね。立ち会い出産を希望していたのですが、陣痛が夜中に来たらどうしよう、保育園にいる時に来たら?、いざ立ち合わせても怖くなってしまったらどうしよう、入院中泣かないだろうか、、、などなど、もし○○だったら?の不安にがんじがらめになっていて。

長男が気がかりなばかりに、自分の身体のこと、お腹の中の赤ちゃんのことにあまり気を向けられずにいました。

娘は、そんな私のことをちゃんとわかっていたようで、一つ一つ気がかりをクリアにしていき、ちゃんと自分に向き合えるようになるまでお腹の中で待っていてくれたように今では思います。

娘が生まれた日

その日は朝から助産院へ行き、階段上り下りや鍼灸などあらゆる促進をしました。

夕方頃、ふうーっと大きく息を吐くくらいの痛み。内診したところ子宮口全開、すぐさま家に連絡してくれて夫と長男が到着したのが18:30頃、それから程なくして18:43に長女が誕生したのでした。

生まれた翌日の娘

夫と長男が二人でへその緒を切ったこと、長男が「かわいいね〜」と言ったこと、髪の毛がフサフサだったこと、などなどなど。

ところどころ曖昧な記憶を手繰り寄せながら、今年も話しました。

私が子供に与えられるもの

いつも、私がこの子たちに与えてやれることってなんだろう?と考えます。

莫大な財産?、美貌や才能?、好きな服やおもちゃを存分に買い与えること?

それもまぁできたらすごいことです。

でも、もしそれらが何一つなかったとしても、「底知れぬ自信」のようなものを持っていたら、なんとか生き抜いていける気がします。

なんかできる気がする。なんか見守られてる気がする。なんか、とりあえず大丈夫な気がする。

そんな根拠のない自信、自分自身や周りへの信頼感を持てる人間になってくれたらと思うし、どうやったら身に付けてもらえるかを普段から考えています。

あなたが生まれてきたことそれ自体が素晴らしいことなんだ。

生まれた日のエピソードを話して聞かせることは、その一助になっていく気がします。

中島佐知子(サチカメ)

田舎暮らしに憧れ、東京から愛媛(西条市丹原町)へ家族5人で移住。念願の自然に囲まれた暮らしを楽しみながら、フリーランスとして出張写真撮影、古民家宿運営サポー...

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