長男と語る将来の夢。夢は現実のものとして語る。
「ねぇ、ママは俺に将来どんな人になって欲しいと思ってる?」
晩ご飯を食べ終わり、次男にままごとに続きに呼ばれて相手をしているときに、長男に突然こんなことを聞かれた。
いや、正確にはこれには枕詞があって。
「ねぇ、ママってさ、まぁこう言っちゃ悪いけど凡人じゃん?俺はね〜、なんか違うと思ってんだよね」
え?凡人ですって??まぁたしかに凡人ですけれど、そんな面と向かって言われると複雑だなぁ。
反応に困っていると、続けて冒頭の質問だったわけです。
大事な場面は突然に訪れる
子育てをしていると、「あれ?これ重要な場面じゃない??」という瞬間が突然訪れます。
今回もそうです。子どもの将来への親の期待、親が日頃子どものことをどう思っているのか。答え方いかんによっては子どもの将来を左右しかねない大事な問いです。
前提の凡人こそモヤモヤしたけれど、この質問はちゃんと答えないといけない類ではないだろうか!と私の中でピンと緊張の糸が張られました。
普段から考えているテーマではなかったので、なかなか回答が浮かびません。長男と会話をしながら、頭の中で答えをさがします。
「警察のお世話になるようなことだけはやめてね」なんてつまらないことは言いたくない。
「好きなことを見つけて、それをやってくれたらいいよ」というのもありきたりな気がします。うーん。
「俺、オリンピックに出れるかな?」「俺、一番になれるかな?」
話がいろいろなところに飛びます。そのうち、オリンピックで金メダルを取るためにはどの種目に出ればいいか、という話に及びます。
手には「ドラ1」と書かれた、プロ野球選手のカードを持っていて、「ドラフトで一位になるってすごいことだよね!」とやや興奮気味。
「プロ野球選手ってどのくらい稼げるのかな?」「肩が強いって言われたんだ。俺がドラフト出たら一位になれるかな?」
ひとしきり、優勝したり一位になる妄想をしたあとに、一位を狙う人生というのも面白いかもしれない、と思ったので、質問の答えとして「何かで一位になって活躍してほしいな!」と伝えました。
夢を現実のものとして語る
子どもからいつどんな質問がきても答えられるように、普段からアンテナを貼っておかないといけませんね。
だけどそれと同時に、ハッキリと答えは持ち合わせていなくても、その都度その都度、会話の中で解を導き出していくのもおもしろいなぁと感じました。
会話をしながら、親子と言えどもまったく異なる価値観を持っていることが垣間見れたし、長男の妄想に付き合うのも悪くはなかったです。
強いて言えば、ただの妄想ではなくて、何か現実と地続きの夢を語り合いたいものです。
長男は今はまだオリンピックに出るようなスポーツに打ち込んでいるわけでもないし、野球も友達と遊ぶ程度、まだぜんぜん何もない地点からのただの妄想なんですよね。
もし彼が今、少年野球をやっていて、「俺も将来プロ野球選手になれるかな!?」という妄想だったら、それは現実と地続きのものとしてワクワクしながら考えられた気がします。
夢は夢で思い描くのはいいことかもしれないけれど、せめて次は片足でもスタート地点に立った状態から夢を語りたいですね。
もちろんそれはわたし自身にも言えて。
地に足つけて、一歩一歩歩んでる?夢を現実のものとして語れてる?
そんな風に自分自身を振り返る機会にもなりました。