祖父の死。子どもたちのために記録を残す。

1月2日に祖父が他界した。92歳だった。

こういうことをブログに書いていいのかはためらわれたけど、わたしにとっても、子どもたちにとっても、忘れられない大切な経験だったので、やっぱり記しておこうと思う。

子どもたちにとっては「ひいおじいちゃん」である。そして身近な人が亡くなる、初めての経験だった。

23年前の話

ちょうど23年前の今日、1995年1月17日、阪神・淡路大震災の日に、父方の祖母が亡くなった。

震災とは直接関係のない、病気が原因の死だったのだけど、わたしにとって初めて身近な人が亡くなるという経験だった。

葬儀が終わった後、父がわたしに言った。

「おばあちゃんが亡くなった今の気持ちを、どんな形でもいいから書き残しておきなさい」

わたしはその言葉に素直に従い、ちょうどその頃、中学校の授業の中で新聞を作る課題があったので、その新聞の中に「祖母の死」の記事を書いた。

新聞自体はもう手元にはないけれど、「おばあちゃんの肌がとても冷たかった」「死んでしまうと、もう話すことができない」ということを書いた記憶がある。

祖母の危篤からお葬式までの数日間のこと、そのとき感じたことを今でもちゃんと覚えているのは、それだけショックが大きかったのもあるけれど、「ちゃんと書き残しておいた」というのも大きいと思っている。

当時の父に感謝している。

今回、うちの子供たちは当時のわたしよりずっと小さい。次男に関しては記憶の外だろう。上の子たちだってどうだかわからない。

彼らが将来これを必要とするかはわからないけれど、まだ、ちゃんと言語化することができない子どもたちに代わって、記録を残しておきたい。

つづく。

中島佐知子(サチカメ)

田舎暮らしに憧れ、東京から愛媛(西条市丹原町)へ家族5人で移住。念願の自然に囲まれた暮らしを楽しみながら、フリーランスとして出張写真撮影、古民家宿運営サポー...

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