土曜日はシーツ掛け。子どもたちの行動に気持ちがうるおう瞬間。
「じゅーすやさんでーす」
「おいしいねー」
ふっと横を見ると、いつのまにか始まっているごっこ遊び。「帰るよ!」の言葉が耳に入るはずもなく。
まぁ少しの間だけならいいかと、様子をみていた。
土曜日はシーツ掛けの日
我が家は公立の認可保育園に通っているので、毎週のシーツ掛けは親のしごと。
月曜の朝に二人分ともなると気が遠くなりそうなので、土曜日のうちに、行けるときはシーツ掛けに行ってしまう。
子ども用の小さいお布団なので、せいぜい1〜2分もあれば掛けて押入れにしまうところまでできてしまうんだけど、そのわずか1〜2分の間にもおもちゃを引っ張り出してこの通り。おままごとが始まる。
土曜日にはパートの先生方がひとつひとつ丁寧に拭いて、消毒して、整頓してくれているおもちゃたち。
遊びに来ているわけじゃないから本当はこんなことしてちゃいけないんだろうけど、子ども(とくに2歳)にそんな理屈が通じるはずもなく。6歳の方は、本当は遊んでいい時間じゃないとわかってはいそうだけど、弟に引っ張られ付き合っているうちに楽しくなってしまったパターン。
こんなとき、無理やり「帰るよ!」と片付けると余計にこじれることは目に見えているので、しばらく様子をみることに。
それにしても、子どもは想像力が豊かと言うか、すぐに世界観に入り込んでしまうからすごい。カラフルなボトル、お皿の上のおもちゃ、彼らには何に見えているんだろう。
気持ちがうるおう時間
私一人で行けば、せいぜい15分か20分もあれば行って帰ってこれるシーツ掛けだけど、こんなことをしてるから結局1時間以上もかかってしまう(行き帰りの道でもいろいろあるし)。
「効率」とは程遠い、一見無駄な時間。だけど、この「無駄」な時間のおかげで気持ちがうるおっている自分がいた。
子どもたちは常識や「べき」論とはかけ離れたところで、興味がおもむくままに自分たちの世界を作り出してしまう。
その何にも縛られない衝動に触れたとき、カサカサのひび割れた地面に水をかけられたような、あるいはふつふつと水が湧き出てくるようなイメージで、気持ちがしっとり穏やかになっていく感覚がある。
わかりやすい言葉で言えば、「癒し」なんだろう。
忙しさに振り回され簡単にカサカサになってしまう土地だけど、こうしてときどき水を注いでくれるからなんとかひび割れずにそこにいることができる。
子どもは偉大だなぁ、と思う瞬間だ。