幸せの定義が具体的すぎると不幸になるのか?

「幸せの定義が具体的すぎると不幸になるのか」

これはまだわたしの中で答えが出ていない問い。

人はみんなそれぞれに「幸せの定義」を持っていて、それぞれが自分の思う「幸せ」に向かっている。

「幸せ」と一口で言っても、いろんな切り口から切り取ることができる。健康面、家族、仕事、友人関係、住まい、趣味。。。

とにかくゴージャスな家に住めれば、友達がいなくても病気になっても構わない、という人は珍しいだろうから、いろんな切り口がバランスよく整っているのがいいのだろう。

切り口の一つである仕事に目を向けたとき、わたしの中にすごく「こうしたい」「こうあらねば」という思いが強く存在している。それは、人と話していて感じたこと。

つまり、「わたしの仕事における幸せの定義は〇〇であること」と、〇〇がすごく具体的というか、限定的というか。それ以外のことを寄せ付けないところがある。

それは、「信念がある」ということかもしれないけれど、俯瞰してみると、自分をただ窮屈にしているだけかもしれない。

そうではなく、もっとふわっと、全体としてこうであればハッピー🎵という風に捉えるようにすればいいんじゃないだろうか。

幸せの定義が具体的すぎると、不幸になっていくんじゃないか?

という先の問いに戻る。

ここまで書きながら気づいたのだけど、もしかしたらわたしは、「幸せの定義」と「目標」を一緒くたにしているのかもしれない

転職した当初の「もっともっと写真漬けになりたい!」、この思いはすでに十二分にかなっている。

何かしら写真に携わる仕事をしたい、というのを仕事における幸せの定義ととらえるならば、今で十分実現できている。

より細部に目と落としたときのありたい姿(撮影では…、講師としては…、個人事業主としては…)に関しては、もうすでにそれは個々の目標であって、個々の目標レベルでたとえ達成できなかったものがあったとしても、大きく幸せであることは揺るがない

と、するならば、わたしは幸せになるために信念を曲げる必要はないし、目標としてのありたい姿は挑戦した結果によって変わっていってもなんら不思議なことはない

もっともっと気を楽にして、挑戦を続けていけばいいんだ。だってもうすでに幸せはかなっているのだから!

 

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中島佐知子(サチカメ!)

”お客様の日常に寄り添い、何度も見返したくなる写真”をモットーに出張撮影のフォトグラファーをしています。杉並区在住。二男一女の母。

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