子供から教わった、家族とのささいなやり取りの中に感じる幸せ

娘「学校でね、『幸せを感じるとき』って言われて、何を書いたか教えてほしい?」

私「うん。教えて?」

娘「ボクはね、父とママが、朝学校行くときに『いってらっしゃい!』とか『気をつけてね!』って手を振ってくれるときが幸せなんだ」

海と少女

「幸せを感じるとき」というお題

小学校では「自主学習」というものがあって、自分で選んだテーマや先生から与えられたテーマで毎日ノートを書きます。

内容はさまざまで、算数や漢字、ローマ字などの勉強っぽいのもあれば、日記のような日もあります。

その自主学習で、「幸せを感じるとき」というテーマで文章を書くように言われた娘。

上記の他にも、「弟が家に帰ってきたとき『おかえり』と言うと、『ただいま!きょう、ほいくえんでね・・・』といろいろ話してくれること」とも書いたそうです。

この話を聞いて、家族とのささいなやり取りの中に幸せを感じてくれていることをとても嬉しく思いました。

日常のささいなことに幸せを感じること

なにかプレゼントをもらったとか、どこか行ったことないところへ連れて行ってもらったとか、そういうビッグなことではなくて、日常のなかのささいなことに幸せを見つけることは、大人でも意外と難しかったりします。

いや、むしろ大人になるほど難しいのかもしれません。

社会生活を送っていると、幸せの基準が、年収だったり、ステータスだったり、所有物だったりになりがちです。そのように規定した方が明解だからでしょう。

だけどどんなに高級車に乗っていても、どんなに偉いポジションについていても、周りの人のやさしさや生活の中のちょっとした喜びに気づけなくなっていたとしたら、それは虚しいことです。

日々、子供たちと接していると、私はもう十分に満たされて幸せな日々を送れているなぁと感じさせてくれます。

毎朝必ず見送れるわけではないのですが、なるべく見送るようには心がけていて、「いってらっしゃい!」と手を振れた日はポッと気持ちが温かくなるのを感じていました。

娘と同じように日常のちょっとしたやり取りの中に幸せを感じられている自分が嬉しかったし、そのことに気づかせてくれた娘に感謝の気持ちです。

これからも、いつ、どんなときも、目の前のささいな幸せを取りこぼさないよう、暮らしていきたいです。

中島佐知子(サチカメ)

田舎暮らしに憧れ、東京から愛媛(西条市丹原町)へ家族5人で移住。念願の自然に囲まれた暮らしを楽しみながら、フリーランスとして出張写真撮影、古民家宿運営サポー...

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