娘のランドセル姿の写真を撮って。長期的記憶を刻む。

春から一年生になる娘のランドセル姿の写真を撮りました。

場所は、春の撮影会の開催場所にもした善福寺川緑地です。

桜はほぼ満開!この日を逃してはならぬと、保育園に早めにお迎えに行き、着替えさせ、自転車で向かったのでした。

撮影には長男もついてきていました。「オレは近くの公園で遊んでるから」なんて、出かける前は言っていたのに、いざ撮影を始めると「ポージング指導」を自らし始めました。

「まっすぐじゃなくて、斜めの方が良くない?ランドセル見えるから」と言うと妹の方へパァーッと走って行き、「足はこう!体はこう!顔はこっち!」と熱血指導。

自分の頭で考えて良かれと思ったことはすぐに実践する、長男のいいところだと思います。頼もしいです。

斜めポーズの写真、なかなかいいじゃないですか^ ^

歩きながら、別の場所でも撮りました。

「ママの方を振り返る、そう!そんな感じ!」

また別の場所で。

楽しい写真がたくさん撮れました。

記念の写真を撮るということ

私は普段から子どもたちのことはよく写真に撮っているけれど、「でかけたついでに写真を撮る」だったり、「何かしているようすを写真に撮る」だったりで、「写真を撮りに行く」ということはほとんどありません。

仕事でフォトグラファーをしても、子どもの記念日ごとにきちんと写真を残すとなると、いろいろとハードルを感じてしまいます。

今回のようにきっちり目的を設定して「撮りに行く」のは、初めてに近いことだったかもしれません。

でも、結論から言うと、撮りに行って本当によかったなぁと思います。

すぐに現像して、オンラインアルバムにあげて両方の祖父母に送りましたが、とても喜んでくれました。

そのうちの何枚かはプリントしてプレゼントしたいと思っています。

写真は「今」しかない時を切り取るものだとよく言われています。

本当にその通りで、同じような写真はまた撮れるかもしれないけれど、同じ写真はもう二度と撮れません。

シャッターを押した時点で、その「瞬間」はすでに「過去」になり、二度と同じ時は訪れないのです。

ですが、同時に「写真」という形になることで、「長期的記憶」として長い間、人の記憶に刻まれます。

人の記憶はすぐにあいまいなものになっていってしまうけれど、写真を見ることで、その時の気持ち、情景、人の言葉、、、関連するあらゆるものが想起されます。

あらゆるものを封じ込める作業が、写真を撮ることなのかもしれません。

今までは自分のためだけに自分の好きなように撮っていたけれど、写真を仕事としても撮るようになって、目の前のお客様のために撮るようになりました。

でも、今までやっていたことも決して全部が自分のためだけじゃなかったんだなと思いました。

こうして娘の写真を改めてしっかり撮ってみることで、本人にも周りの人にも喜んでもらえたし、ずっと大切な思い出として記憶に刻むことができました。

きっと10年後、20年後の私はこの日の写真を見て、満開の桜の迫るような勢いや娘の保育園生活が終わる寂しさ、初々しいランドセル姿にエールを送る気持ち、熱血ポージング指導をしてくれた長男のこと、、、いろんなことを一気に思い出し、懐かしむんだと思います。

そして、私の周りの大切な人たちもまた、この写真を見てそれぞれの感情を抱くのでしょう。

写真を撮る、ということは、自分のためだけにはなり得ないんだと思った一日でした。

中島佐知子(サチカメ)

田舎暮らしに憧れ、東京から愛媛(西条市丹原町)へ家族5人で移住。念願の自然に囲まれた暮らしを楽しみながら、フリーランスとして出張写真撮影、古民家宿運営サポー...

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