圧倒的な時間が生んだ安心感。家族と過ごす時間がわたしの原動力になる。
5人で食卓を囲む朝ごはん。いつものように急かす必要もない。
食べ終えるとさっそくゲームを始める子。「ほんよんで」と袖口を引っ張る子。洗い物を始める人。
10時のおやつ、お昼ごはん、3時のおやつ、夜ごはん。
一日は食べること中心で回っているようだ。
すごろく、トランプ、宿題の丸つけ。
初詣に凧揚げ。
この年末年始は、家族水入らずで過ごした。四六時中、一緒にいた。
そして、昨日から仕事始め。
この年末年始を通して、自分自身を振り返ってみると、今一番感じているのが「安心感」だったり「心地よさ」だったり「ほっとした感じ」だったりする。
なにをするわけでもない、ただただ一緒にいた時間が、こんなにもほっとした気持ちを生むものかと正直驚いている。
わが家の年越し
わが家の年末年始はだいたいどちらかの実家に帰省する。(2016年〜2017年の年越しは、次男が気管支炎で入院してしまっていたので、わたしと次男だけ東京に残るというイレギュラーな年越しだったのだけど、それ以外の年は東京にいないことが多い。)
ただ今年は、義両親が年末に旅行に行くなどの事情があり、帰省はせずに自宅で過ごすことにした。
普段は、朝の送り出しまでの時間(約1〜1.5時間)と夕方のお迎え〜寝かしつけまでの時間(約3時間)くらいしか子どもたちと一緒にいられる時間はない。
夫に関しては、みんなが就寝した後に帰ってくるので、顔を見られるのは朝の時間くらいしかない。
それが、年末年始は四六時中一緒にいるのだから、共有する時間の量が圧倒的に違う。
図にしてみるとその差は歴然!
with子どもたち
そんな圧倒的な量の時間、子どもたちとどんなことをして過ごしたかというと、、、
近所の公園で凧揚げをしたり、おうちごっこ(*1)をしたり。
(*1)お父さん役、お母さん役、赤ちゃん役、などを決めてやるごっこ遊びのこと
家の中では絵本を読んだり、トランプやUNOをしたり、お正月らしくすごろくをしたり、あるいはただじゃれあったり。
約束の時間を過ぎてもゲームをやめないこと、家の中でドタバタと走り回ること、ケンカをすることについては何度怒ったか!
それと、3食をともにした。食事のネタはすぐに尽きてしまったけど。
正月二日目から早くもピザ。でもピザ屋さんは混み合ってた〜、同じようなこと考える人多いのね!
with夫
夫とは普段ほとんど会話をする機会が持てないので、はっきり言って何を考えているのかわからないところもあるし、最近は仲がギスギスしていた。
でもこの冬休みで単純に話す機会が増えたことでコミュニケーションも改善したように思う。
やっぱり相手の状況を知らないと思いやりの気持ちも生まれないということも改めて感じた。
それと、「いちいち伝達しなくていいことのラクさ」も。
いつも保育園のことや子どもたちのこと、夫がいない時間に起きたことについて共有したいという気持ちはあれど、全部を伝えることはできず。細かい描写はLINEでは限界があるので、あとで直接話そうと思っているうちに話す機会を失うことばかりだった。
そのうちに、いちいち伝えるのも面倒くさくなり、必要最低限の業務連絡のみになってしまっていた。
断片的にしか家のことを把握できない夫とは、考え方もどんどんずれてきてしまって、また余計にコミュニケーションが面倒になってしまうという悪循環。
だけど、一緒にいる時間が長ければ長いほど、わたしがいちいち伝達しなくても共有できるものが多くなり、それがすごーくラクだと感じた。
家族との時間と仕事の時間
これからの仕事はどのように展開していこうか? と考えるとき、必ず家のことも両輪として考えなければならない。
仕事100%で行きたくても行けない。それはわたしが「母親」だから? でも男の人は子どもがいても変わらず仕事してるよね。子どもが病気でも「(仕事)休めない」って簡単に言うし。なんだかそれって不公平だ。わたしだってもっと仕事がしたい。
そんな風に思っていた。
だけど、この年末年始を経て、「家族と過ごす時間とそこから生まれる安心感があるからこそ、わたしは仕事もがんばれるんだ」ということに改めて気付かされた。
わたしの原動力はここにある。
仕事では、相手の人に喜んでいただけること、そのために持てる力を注ぎ込むことを一番に考えるのだけど、その前にまず家族があるということ。このことをいつだって忘れずに、2018年も邁進していきたい。
iPhone アプリ「Huji Cam」
右下に日付が入った写真は、「Huji Cam」というスマホアプリで撮りました。
写ルンです風に撮れるから面白くてハマってます。