雷で停電した夜に。怖かった感情を口にしてみる。

大人一人でも足を伸ばして入れないくらいの、決して広いとは言えない我が家のお風呂。

いつもは時間差で入るんだけど、昨日は「バスボム」があったので(溶けると中からおもちゃがでてくるやつ)、子どもたちはその行く末見たさに4人同時に入った。

男の子二人が湯船に、長女は洗い場に立って、しゅわしゅわ溶けていくバスボムを見守っている。

そのすきに私は手際よく洗い始める。

外では雷が激しく鳴り響いている。お風呂からは稲光は見えないので、地響きのような「ゴゴゴゴゴーーーー」という音と、お風呂のドアがガタガタ揺れる音が不規則に襲ってくる。

クレンジングオイルを顔にぬったその瞬間、一瞬にして真っ暗になった。天井の電気だけでなく、給湯システムの電源も落ちてしまっているのでこれは停電だ。

「うぎゃ〜〜〜!こわい〜〜〜!」声にならない声で泣き叫んだのは次男。それを聞いて、「いやだ〜〜〜〜。停電怖い〜〜〜〜」と声をかぶせるように泣き始めたのは長女だった。

長男はさすがに泣くことはなかったけれど、「マジで!?停電!?やばくね!?」と声が上ずっていた。湯船につかっている弟のようすが尋常でないことを察知して、「ママ、たくヤバイよ。抱っこしてあげなよ」と言ってくれたりした。

いかんせん、クレンジングオイルで手がぬるぬるの状態だったので、抱き上げたくもすぐにはできない。洗い流そうと思ったけど、電気が落ちてはシャワーのお湯も出ないことに気が付いた。

「大丈夫!すぐ点くから。とにかくみんなで手をつなごう!」と言って、みんなの体を抱き寄せたところでパッと明かりが点いた。

ものの数十秒だったんだろうけど、とてつもなく長い時間に感じられた。

明かりが点いて、部屋に戻ったあとも、軽いパニック状態は続き、とくに怖がりな次男は目をつぶって完全に外の世界をシャットアウトしていた。

目をつぶって、口はへの字、こぶしをぎゅっと握って直立不動の姿はおもしろくて仕方がなかったけど、本人はいたって本気なのでバカにするわけにもいかない。

そのあとも寝るまでずっと、体のどこかはわたしに触れているような状態で過ごし、雷雲が過ぎさった頃に布団に入ると一瞬で眠りに落ちた。

怖いという感情を認めて口にしてみる

雷騒動の最中、わたしの心の中でずっとあったのが、「わたしが怖いと言っちゃダメ」という気持ちでした。

わたしはこの人たちを守らなきゃいけない立場だから、ビビっているところを見せたらダメ。いかにも平気なようにしていないと!

実際、次男のようなパニック状態ではなかったけれど、初めての状況にまったくビビっていなかったかと言われたらそんなことはなく。

カーテンの隙間から見える青白い光や、少し遅れてくるゴゴゴゴゴーーという音、雨の音、カタカタ揺れる窓。それらを全身で感じながら、雷雲が過ぎ去るのをひたすら待っていました。

雨も雷も落ち着いて布団に入った時にふと思ったのが、「別に、怖いと言ってもよかったのでは?」ということ。

ここでも「こうあるべき」を優先して、感情を殺してしまった気がしました。

つい先日、心や体のことに詳しい人に、「思ったことは言っていいんだよ」と言われたばかり。

湧いてきた感情にいい・わるいはないので、「わたしはこういうふうに感じたよ」ってことは相手に伝えていい。対子どもだったとしても同じ。そんなことを聞いたばかりでした。

わたしはどちらかと言うと、自分の感情を出すことは相手に気持ちを押し付けることになってしまうので良くないことだと考えていました。感情を出してゴタゴタするくらいならば、わたしは「無」になってその場を丸く収めたほうがいい。そんなふうにやり過ごして生きてきました。

でも、感情を出す=相手に強いる、ことにはならないし、一度湧いた感情を頭で考えて「無」にすることなんて本当はできないんですよね。

「あ〜、怖かった(雷の音も、停電したことも、子どもたちを守れるのはわたししかいないという状況も)」

布団に入って、自分に向かってそっとつぶやくと、少し心が軽くなったような気がしました。


なかじまさちこ(サチカメ)

田舎暮らしに憧れ、東京から愛媛(西条市丹原町)へ家族5人で移住。念願の自然に囲まれた暮らしを楽しみながら、フリーランスとして出張写真撮影、古民家宿運営サポー...

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