「仕事=楽しい」へのターニングポイントは小さな「違和感」を見逃さなかったこと。

勤め先の会社が、とあるイベントの中でちょっとした写真展示をすることになり、わたしがその担当になった。

大きな壁一面を使って、10点ほどの写真を展示する予定。

展示経験は何度かあるけれど、他人の写真を使って展示を組み立てることは初めてなので、いろいろと試行錯誤。

全体のまとまりは持たせながらも個々の作品の良さはそのままに残したいなと、配色にも気を使いつつラインナップを考える。

時間が潤沢にある訳ではないので、限られた時間の中でパパッと判断。

よし、これで行こう。週末に印刷、週明けにパネル貼りだ。

仕事が、楽しい

展示にまつわる作業はどれも楽しい。

しかも、これが今は趣味ではなく「仕事」として行えていることに、とてつもない幸せを感じている

展示だけじゃない、写真を撮ること、記事を書くこと、企画を考えること、イベントを運営すること、出張撮影をいかに広めていこうかと考えること、日々たくさんの写真を見ること、等々、勤め先で行なっていること全部が楽しい。

ルーティンワークやコーディング、資料作成でさえ、その先に「写真」が関連していることなので、ワクワクを途切れさせずに取り組むことができる。

あぁ、なんて今はいい環境なんだろうか。

と、同時に、去年までの会社員での仕事がいかに自分にとってつまらないものだったかを思い知らされる。

「仕事=つまらないもの」だった会社員時代

会社員だった12年間、わたしにとって仕事はおもしろくないものだった。

念のため断っておくけれど、決して前職の仕事内容がひどかったわけではない。

会社の中でとてもいい仕事をしている人はたくさんいたし、尊敬できる上司も同僚もいた。

ただ、わたしにとっては合わなかったし、のめり込めなかったというだけ。

あの頃のわたしは、求められた成果を上げるため、淡々と、効率よく。言われたことはしっかりやる。ただそれ以上はのめり込まないようにする、というスタンスだった。

ときには、しんどかったり我慢したりしなくてはいけないこともあった。その度に、「これは仕事だし」と割り切ってきた。

仕事は別におもしろくはなかったけど、求められたことはきちんとやるし、工夫もするし、成果物の品質は高く、信頼は厚かったと思う。

「これをやって何になるのかな〜?」と考えるとしんどかったので、あまり考えないようにして、目の前の作業に没頭した。

スキルとしては向上していった。半径5メートルくらいの世界では「ありがとう」と言われる仕事はできた。

だけど、それ以上先が見えない状態がこの先何年も続いて行くと思うと恐ろしくて、一日のほとんどの時間を費やす仕事がそれでいいのかなと思うようになった。

仕事でも「たのしい!」「おもしろい!」を感じれるようになりたい、、、という気持ちが募っての退職・独立・転職だった。

「仕事=おもしろいもの」に変わった現在

仕事に対する印象がガラッと180度転換した。

今のわたしにとって仕事は、楽しいもの(楽しんでよいもの)、おもしろいもの(おもしろがってよいもの)、挑戦できる場、新しい価値を生み出す場、自分の創造性を発揮できる場、である。

これが当たり前の人にとっては当たり前のことなのかもしれないけれど、12年間、自分を押し殺してきたわたしにとっては、天と地がひっくり返るくらいのインパクトだ。

「こんなに楽しくていいの?」「こんな遊びみたいなことが仕事でもいいの?」としょっちゅう振り戻されそうになる。

けれどその度に、「これでいい」「楽しんでいい」と自分に言い聞かせている。

まだまだ、収入の面では満足とはいかないけれど、これで収入面も追いついてきたらめちゃくちゃ幸せすぎると思う。

何はともあれ、今はこのままわたし自身が充実した状態を保ち、楽しんで仕事に取り組み続けていこう。

ターニングポイントは小さな「違和感」

初めは、ほんの小さな「違和感」からだったと思う。「これでいいのかな?」という違和感。それを掘り下げたから今がある。

「仕事はこんなもんだ」と諦めず、模索を続け、そして道を切り開いた当時のわたしに感謝したい。

だからもしも今、仕事や家庭や何か身の回りに「違和感」を感じている人がいたら、決してないがしろにせず、少し向き合う時間をとってほしい。

手帳にちょっとメモしておくでも、日記に書いてみるでも、簡単なことでいい。

それらがいつか人生を切り開くヒントになっていくと思うから。

中島佐知子(サチカメ)

田舎暮らしに憧れ、東京から愛媛(西条市丹原町)へ家族5人で移住。念願の自然に囲まれた暮らしを楽しみながら、フリーランスとして出張写真撮影、古民家宿運営サポー...

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