かつては完璧主義で劣等感のかたまりでした

こんにちは。家族写真の出張撮影サチカメ!のなかじまさちこです。

話題に事欠かない次男ですが、現在絶賛「一番じゃなきゃイヤ!」の波が来ています。

朝起きるときも、お風呂に入るときも、階段の上り下りでさえ。

全部自分が一番じゃなきゃイヤだと主張します。

とくに朝が大変。

目覚ましが鳴って目が覚めても、次男をまず起こして部屋に向かわせます。

さっと先に起きようものならそのあとえんえん泣き続けて朝の準備が進まず、痛い目を見ます。

、、、とまぁ、さも悲惨なように書きましたが、なんだかんだ末っ子色眼鏡で「かわいい」で処理されてしまう部分も大きいわけです。

一番じゃなきゃ価値がない

「一番」といえば、私も「一番」にとらわれていた時期があったなぁと思います。

それは中学生時代。

なんでも一番じゃなきゃ、テストは100点じゃなきゃ、少しでも欠けていては価値がないと思い込んでいました。

中学最初の中間テストでのこと

忘れもしない中学一年生の一学期、最初の中間テスト。

勉強がよくできた私は5教科すべて95〜100点くらいのスコアを出しました。

自分なりにテスト対策も頑張ったし、ちょっとミスっちゃったのは悔しいけど上出来!と自分では思っていました。

けれど、テスト直後の三者面談でその気持ちは180度ひっくり返されることになったのです。

98点は情けない?

その時の担任は社会科のアラフィフの男性教諭でした。スポーツ刈りで背は低めでぽっこりお腹が出ていて(中年の男性あるあるですね)、ガハガハと大声で笑うタイプだったように記憶しています。

担任と母と私との三者面談。

自分なりには上出来と思っていた中間テストの成績表、とりわけ98点の社会の成績を示しながら担任の先生はこう言いました。

「どうして100点を取れなかったのかねえ?」

先生の理屈では、98点取るくらいなら全力でやって90点の方がまだいいというのです。100点が取れる実力があるのに1点2点を取りこぼすのは情けないことだと。

テストが終わってから悔やんでも点数は変わらないのだから、テスト前にあとで絶対悔いが残らないようにもっとがんばれと。

先生としては「現状に満足せず、努力を続けなさい」ということを伝えたかったのかもしれない、と今でこそ思うのですが、13歳の私はただただショックでした。

自分の詰めに甘さを恥じましたし、惨めな気持ちにもなりました。

母は「ひどいこと言うわね〜」と先生に同調しないでくれたことは救いでしたが、先生の言葉の威力は強烈すぎて、「カンペキでないと認めてもらえない」と、子供心に刻まれたのでした。

カンペキを求めるあまりの劣等感

それから私にとっての勉強は「つらく苦しいもの」となりました。

本来、学ぶって楽しいことのはずなのに、どんどん「ただテストで高得点を取ることが得意な子」になっていきました。

とにかく若い脳の記憶力で、全範囲隅から隅までしらみつぶしに暗記してテストに臨み、テストが終わったら忘れる、というふざけたものでした。

おかげで成績は良かったです。学年1位の常連でした。

でも一問一答のドリルはできるけど、組み合わせて考える問題になると途端に頭が真っ白になるような状態でしたので、すごく自分に劣等感がありました。

いつでも「一番であること」や「カンペキであること」が頭にあったので自分の粗探しも得意でした。

そしてこの手の悩みは、あまり友達にも打ち明けられないものでしたので、一層悶々としていくのでした。

「NO.1にならなくてもいい もともと特別な only one」

先日、ラジオを聴いていたら「平成で一番売れた曲」としてSMAPの「世界で一つだけの花」が紹介されていました。

この曲は2003年5月に発売されて以来、シングルの累積売上は312.8万枚(トリプルミリオン)を記録しているそうです。

「NO.1にならなくてもいい もともと特別な only one」という歌詞はおそらく知らない人はいないんじゃないかと思いますが、シングル発売当時で大学生だった私。

初めてこの歌を聴いたとき、ふぁ〜っと気持ちが軽くなり張り詰めていたものがほどける感覚がありました。

中学生当時の私にも聴かせてやりたかった。

欠けないように必死になったり、あるいはその反動でまったく戦線離脱しようとしてみたり、自分の欠けた部分にいつも目を向けていた昔の自分に。

自分の力を必要としてくれている人のために活かしていきたい

こんな世知辛い青春時代だったわけですが、今ではまったくその頃と違う気持ちでいます。

集団の中の「一番」であることにほとんど関心はないし、自分が自分らしく花を咲かせられる場所をさがして、昨日より今日、今日より明日とステキな花を咲かせられたらいいなと思っています。

また、「勉強」に対する印象も変わりました。あれほどつらく苦しかったのがうそのように、今では「学ぶことは楽しいこと」になっています。

それは何か大きなきっかけがあったと言うよりは、自分の好きなものや快適さに忠実に選択を重ねるようにしてきたことで、少しずつ少しずつの変化が起こっているのだと思います。

写真に出会ったこともその一つ。

写真の世界を見渡すと、写真をやってる人なんて数え切れないほどいて、その中で「一番」なんて気が遠くなります。

なにか小さなコミュニティで仮に「一番」になれたとしても、ちょっと外を見れば上には上がいる状態。延々と枯渇が続くことは目に見えています。

それならば、上に上にという視点をもっと自分の内側へ向けて、自分の力を本当に必要としてくれている人のためだけに活かしていけたらと思うのです。

まだまだできることはたくさんある気がしています。

中島佐知子(サチカメ)

田舎暮らしに憧れ、東京から愛媛(西条市丹原町)へ家族5人で移住。念願の自然に囲まれた暮らしを楽しみながら、フリーランスとして出張写真撮影、古民家宿運営サポー...

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