技術と自己表現の両輪をともなった場をひらきたい。

みなさん〈造形教室〉に通いはじめた当初は、「何を描いたらよいのか」「どう描いたらよいのか」に苦心し、抱えこんだイメージを表現できない技量不足に悩むこともあります。そのような悩みや迷いを抱えながらも、日々キャンバスに向うことで、それぞれが向き合うべきテーマと出会っていくようです。
「生きていく絵」 荒井祐樹(亜紀書房)

場づくりの読書会で出会った本の一節。

病院内に作られた造形教室について書かれた本でした。

この一節を読み、わたしは写真教室に通っていた三年間を思い出したんですよね。

自分が向き合うべきテーマに出会う

写真教室には、2014年1月から通いはじめました。長男が5歳、長女が2歳のときでした。

これ以前にカメラの初級講座には通ったことがあって、他にも自分で勉強していたので、カメラの操作についての基本的な知識はある状態で入校しました。

だけど「何を撮ったらよいか」「どう撮ったらよいか」については、ぜんぜん空っぽの状態で、毎回課題の提出に苦心しました。

また、カメラの操作についての知識はあったのですが、それを表現と結びつける技術がありませんでした。

なにを撮っても「普通」以上の写真にはならず、わたしはもっとこんな風に感動したのに…!と思いが伝わらず、もどかしい気持ちをたくさん味わいました

その頃は、「いつも自分の子どもばっかり撮ってるから、他のものも撮れるようになりたい」と思ってたりもしていました。

自分のテーマになりそうなものを見つけては「これかな?」「いや、こっちかな?」といろいろ撮っていました。

どれも一時期はおもしろいのですが、すぐに飽きてしまい、気づくとやっぱり「人物」、それもとくに「自分の子ども」を撮っていました。

「他のものも撮れるようになりたい、と思って入校したけれど、わたしには子どもしか撮れないのかもしれない

そう腹をくくって、「自分の子ども」をテーマに据える覚悟をするまでに、1年ちょっとの時間を要しました。

先に引用した本に戻るならば、自分の子ども、これこそがわたしの「向き合うべきテーマ」だったのでしょう。

わたし自身が自分の写真で一番癒されてきた

また、この本では、〈造形教室〉は病気を「治す」場ではなく、〈癒す〉場だと言っています。〈癒す〉をこう定義していました。

対して、〈癒す〉とは、何らかの受苦・受難の渦に巻き込まれた人が、自らの混沌とした内面と向き合い、自己表現を通じて外部に放出することで、直面している困難を耐え忍び、生きる支えと拠り所を見出していく能動的な営みのことを意味しています。
「生きていく絵」 荒井祐樹(亜紀書房)

ときどき、私の写真を見て「癒される」という感想をくださる方がいます。それはそれでありがたく受け止めつつ、でも本当は自分が自分の写真で一番癒されてきたんだよなぁと思ってきました。

理由はあまり深掘りしたことはなかったけれど、引用した一節を読んだとき、わたしの中でカチッとピースがはまる音がしました。

平たくいうと、わたしはずっと子育てに悩んできました。とは言え、気を病むほどではないし、明るく笑える日の方が多いし、人に相談するまでもないんです。

でも心の奥底では、「子育てを心から楽しめていない」という罪悪感や劣等感に近い気持ちや、「わたしの子育てほんとうにこれで大丈夫だろうか」という不安な気持ちがつきまとっていました。

そんなモヤモヤした気持ちを常に抱えながら、写真を通じてずっと子どもたちに向き合って、表現を続けてきました。

撮り続け、何度も見返し、教室で講評をしていただき、また撮り、見比べて、、、。

ちょうどその頃のわたしは、子どもが何か一点に集中したときの佇まいに惹かれていて、「集中力シリーズ」と名付けて撮りためていました。

それを2015年秋に合同写真展に出展したところ、たまたま目に止めていただき賞をいただくことができました。

そのときのキャプションボード。

集中するカ
子どもは、「今、目の前のこと」に集中する力がハンパない。
気になるものには触れてみる
飽きずにずーっと見続ける
何度も何度も同じ動作を繰り返す

まさに本能のままに動いている子どもは「生き物」としてオモシロく、私の興味をそそる。
ふと考えさせられることがある。
いったいいつから私は「今したいこと」より「今やるべきこと」を優先するようになったのだろう。
目の前のことに集中しようとしても、どこかで数分後の未来の不安がつきまとい「今」に集中できなくなってしまっている自分に気付かされる。
それは私が大人になったということなのか。
それとも生まれ持った性格のせいなのか。
とにかく、私にはできなくなってしまったことをごくごく自然にやっているこの子がうらやましくてたまらない。
子どもを撮っていると、「今を生きている」姿を嫌でも見せつけられる。
そろそろ帰らないとタ飯の準備が、、、という言葉はぐっと飲み込んで、今日も少しだけ子どもに付き合ってみる。

わたしは「写真」という表現ツールを使って子どもと向き合うことで、「今を生きる」ことについて突きつけられ、考えさせられてきました。

ぐちゃぐちゃ悩んでないで、興味あることに突き進んでみなよ!というメッセージも受け取っていたかな。

そのうちにあるときふと気づいたんです。

「あ、わたしはわたしなりの視点で、ちゃんと子どもたちを見ることができている。いいところをたくさん見つけられているし、子どもたちからたくさんのことを学んでいる。これでいいかも」

「これでいいかも」「大丈夫かも」と思えたということが、わたしにとって〈癒し〉でした。

技術と自己表現の両輪をともなった場をひらきたい

写真に限らず、なにかで自己表現をするということにはたくさんの可能性が秘められています

どんな悩みも結局は自分で解決していくもの。他人に相談することはできても、最後に行動したり、気持ちを克服したりできるのは自分だけ。

自分の内面を表現するツールを持つことは、問題解決につながる助けになります。

わたしはたまたま写真に出会い、写真が得意になったので、写真を教える場をひらいています。

そこは、単なる技術を伝える場にしたくはなくて、写真というツールを通して自分と向き合い、対象と向き合う中で起こるであろう変化を体験してもらいたいという気持ちがあります。

技術と自己表現の両輪をともなった場にしていきたいのです。

こんなことを言うと、敷居が高く感じてしまう人もいるかもしれないし、それはわたしも望んでいません。

何か問題解決をするための写真でななく、順番としては、写真が好きで、もっとうまくなりたい!という気持ちがスタート。

そうして夢中になって取り組むうちに、自然と自分の中で写真の技術以上のものが生まれてくる、という流れだといいなと思います。

そんなことを、読書会から改めて確認することができました。

 

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中島佐知子(サチカメ!)

”お客様の日常に寄り添い、何度も見返したくなる写真”をモットーに出張撮影のフォトグラファーをしています。杉並区在住。二男一女の母。

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