転職にも活かせるデザイン目線。日常を優しく疑い、可能性にフタをしない。
「コップってなんだっけ?」
書店をフラフラしているとき(←わりと好きで、時間があるときにはよく本屋に寄っている)、ふと一冊の絵本が目に入った。
「コップってなんだっけ?」 佐藤オオキ著
「テレビで大反響!見方を変えるだけで、発想力がぐんぐん伸びる!」と本の帯には書いてある。なんとなく気になってページを開いてみた。
その本の中では一つのマグカップが、用途に合わせて「こんな形にもなるよ〜」と変幻自在。平べったくなって「ほんだなにキレイにしまえるよ!!」というページでは、思わずふっと吹き出してしまった。
コップを見て、「これはふつうのコップだな」と思った瞬間に、アイデアは浮かばなくなります。
(中略)
この本は、そんなどこにでもあるようなコップを主人公に、自分が実際にどんなふうにものごとを見ているのか、頭の中でどんなふうに考えているのか、それを形にしたものです。読んでいただくことで、日常を優しく疑い、そこから新たな発想を促す「デザイン目線」が身につくように考えました。
《あとがきより引用》
これでいいか?を常に疑う
この絵本は「デザイン目線」を伝える本だけど、この考え方はデザインをする以外の場面でも大切だと感じた。
いつも当たり前だと思っていること、これが常識だと思っていることに対して、「ほんとうにこれでいいの?」と優しく疑う。そこから生まれるものは意外と大きい。
わたしたちはちょっとした違和感を感じつつも、それを見ないように過ごすことができてしまう。人間は変化を嫌う生き物だから。
わたしも例外なく、変化の少ない平穏無事な日々をどちらかというと好む方だけど、ときどき思い切った環境の変化や挑戦をすることがある。
その大きなのの一つが、去年、会社を退職し、新しい仕事を始めたことだろう。思い返してみるとそのきっかけとして、「日常への優しい疑い」があった気がする。
サラリーマンってこういうもの、働くママってこういうもの
わたしは去年の今頃はふつうの会社員だった。その前の5年も、さらにその前の5年も、朝はだいたい決まった時間の電車に乗り、決まった時間働く、ふつうの会社員だった。
独身時代は終電ギリギリまで残業するのがザラで、一人暮らしをしていたときの朝ごはんは、ヨーグルトかクリーム玄米ブランだった。生活が雑だった。
結婚して子どもが生まれてからは、働く時間は減ったけれども、朝夕の保育園送迎が加わり、洗濯物も料理の手間も増えた。
それでも毎週月曜から金曜まで息を止めて走り抜けて、土日に一気に解放されるという部分では独身時代となんら変わらなかった。
サラリーマンってこんなもん、働くママってこんなもん。周りを見ても同じような感じがした。この生活がいいのか?と聞かれたらYesとは言えないけど、でも「こんなもん」だし、他に方法はないと思っていた。
他の可能性をさぐったら世界が動いた
こんな生活も、ふしぎなことに慣れてくるし、効率よくこなすことができてくる。手抜きも息抜きも上手になる。子どもが小さい今のしんどさを乗り越えれば、あとは楽になっていくんじゃないかなという気さえしてきた。
ちょうどその頃、写真を撮ることがとても好きになった。楽しくて仕方がない。どうにかして写真に当てる時間を増やせないか。あわよくば写真を仕事にできないか。。。
そこから芋づる式に、今まで見ないようにしていた思いがあふれてきた。
週末のために息を殺すような働き方はイヤだ。仕事自体にもやりがいを感じたいし、大きく息を吸いたい。外に出たい。
保育園に週5日、朝から夕まで預ける以外の働き方もあるはず。幼稚園に通わせながら働いている人もいるんだし。
時間で拘束されて給与をいただくという「安定」の名の下に失っているものがあるんじゃないか?安定の低空飛行ではなく、好きなことに力をつぎ込んで、自分がどこまで行けるかやってみたい。
思いに気付いてしまったら動くしかない。そこから少しずつ転職・独立の準備を進めて今に至る。
物事を決めつけず、可能性にフタをしない
あのとき「仕事ってこんなもん」「働くってこんなもん」で思考停止していたら、今の生活はできていなかった。
絵本の中で、マグカップが本棚に収納されていたように、今のやり方以外のものがあるかもしれない、こうでない形があるかもしれない、と、物事を決めつけず、可能性にフタをしなかったからこそ進めた先がある。
働き方を変えた今ではあるけれど、これをゴールとは決めつけず、いつも自分の心と照らし合わせて疑うことを忘れないようにしたい。「デザイン目線」の発想は、自分がイキイキとできる暮らしを作るのにも活かしていけそうだ。