冬至のコラージュの会に参加して。言語を超えた感覚のふしぎ。
舟之川聖子さん主催の「コラージュの会」に参加しました。
聖子さんはかれこれ6年くらいコラージュを続けているそうで、最近になり「3ヶ月に一度作ると良い感じ!」と気がついたとのことで、今回は「冬至」のコラージュ会でした。
わたしも日頃コラージュには興味があって、一度だけ一人で作ってみたことはあったけれど、グループで作業するのは今回が初めて。
どんな感じになるのかな、とドキドキわくわくしていました。
出来上がったコラージュはこちら。
おおー。我ながら、不思議なビジュアルになりました。
この一年の振り返り
このコラージュ会のおもしろいところは、まず全体で自己紹介→2人組になって一年の振り返り→1人でコラージュ作成作業→みんなでコラージュ鑑賞、という構成になっていること。
振り返りの時間では、2人組でまず1人が5分間たっぷり話をし、相手はただただ聞き、そのあと感じたことをフィードバック。
その時間がすごく良くって!話をしっかり聞いてもらえるって幸せだなぁと感じたし、温かいフィードバックをもらえて、本当に体感として温泉に浸かったあとのようにほかほかになりました。
一年間を振り返ってみると、あっという間だと思っていたけどすごくいろんなことがあったと気づけました。
長女が小学校に入学したこと、同時に長男が学童を退所したことが大きなライフスタイルの変化で、都度都度いろいろなことがありながら乗り越えてきたことを確かめられました。
忙しい中でも「ずっとやってみたかったこと」に一つ、二つ挑戦できたことも良かったなぁと思えたし、20年来の女バス会の集まりを今年も続けられたことがすごくうれしかったです。
新しいことも旧来のことも大事に、家族のことも自分のことも大事に、そんな風に過ごせた一年だったと思います。
「積み重ねを大事にしていますね」というフィードバックが心に残っています。
コラージュ作成の時間
コラージュも、ビジョンマップのようにガチガチのものではなく、好きなもの・気になるものを自由に貼っていこう。それでできあがるものを味わおう。というスタンス。
たくさん積まれた雑誌と、自分が持っていった1冊の中から「気になる」「なんか引っかかる」というビジュアルを拾い集めます。
ある程度集まったら、今度は切って、貼っての作業。
その作業の間、わたしの中でおもしろいことがたくさん起こりました。
作業している間は心がしんとして何も聞こえなくなるときと、逆にずっと声が止まないときとがあったり。(なぜか”悲しい悲しい”という声がずっと響いていました)
「こう切ろう」「こう貼ろう」と考える前に、「こう切ら(貼ら)ざるを得ない」というように手が先に動いて、だんだんと「頭で考える」という感覚がなくなっていきました。
普通に四角く切り取った写真を貼ろうとするのだけど、なぜか貼れない。「悲しい、悲しい」と声が聞こえる。涙型に切ってみる。腑に落ちる。
なぜか「フレーム」を作りたくなる。写真の外周だけ残して中をくり抜いてみる。腑に落ちる。
「しっくりくる/こない」みたいな微妙な感覚を、言葉から外れたところで感じていました。すごく不思議な時間。
コラージュを鑑賞する時間
壁に一列に並べ、みんなのを鑑賞。一人一人作った時の感想を述べ、そのあとに他の人が口々に感じたことを言葉にしていきます。その時間もすごく豊かで!
わたしのは「悲しい、悲しい」という言葉を浴びながら作ったものでしたが、「楽しい感じ!」と言ってもらえたり、
「長い時間の経過を感じる」
「良質な児童書のよう」
「おばあちゃんがしっくりきてる」
「美味しそう」
「技術が高い(波型に切っているところなど)」
「ノスタルジックな感じがする」
「朽ちた植物が人間っぽい艶かしさを感じる」
などなど、本当にいろんな言葉をいただいて、自分でもハッとするところがたくさんありました。
できあがったものは、わたしにとっては意味不明なものだったけど、こうしてさまざまな解釈を聞けたことで、見るたびに感じ方が変わってきそうな味わい深いコラージュに変わりました。
定期的にやっていきたい
前回も参加した人は、「コラージュが指針となり、いろんなことが実現した」とおっしゃっていました。
わたしにとっても良き相棒になってくれるかな。楽しみなような、怖いような、ドキドキがあります。
この先このコラージュがわたしにどんな意味をもたらすかはまだわからないけど、作業自体がとても面白く、かつ不思議な体験だったので、またいつか、できれば定期的に作っていきたいです。